ばーちゃんとハハと娘

りる吉さん素敵なお祖母さまのお話を聞いたら、きさばーちゃんの事を思い出さずにはいられなかった。
りる吉さんのお家よりもう〜んと、う〜んとドが3つくらいつく田舎の農家の6人姉妹で育った母。
農家だからやはり経済的には苦しかったようだけど、お洒落でハイカラ食好きだったのだ。当時ではお金持ちの食卓にも上がらないような洋風のおやつが用意される事も珍しくなかったらしい。

一番最後にばーちゃんと会ったのは、きさ母の還暦祝いで揃って宮崎に帰ってお祝いしてもらった時か。
叔父、イトコを含め総勢20人超の団体様は、温泉宿へと向ったの。
その時、一番の大荷物だったのは、ばーちゃんだった。
家を継いで下さった4番目の叔母は「いつものこと、仕方なかね〜」と言いつつ荷物を運んでいた。

送迎バスで宿に向かい、各部屋に分かれて一休み、と思ったら、ばーちゃん1度目のお召し替え。コじゃれたリラックスウェアだわ。
皆それぞれ温泉に入り、いよいよ宴会ですよ〜と大広間に向ったら、2度目のお召し替え。温泉宿のシケた浴衣など着られない、と言った様子でオメカシ。
そして翌朝、やはり上下とも違う服で登場。これには全員参った。
大きな荷物には、全員に配る菓子包みも含まれていた。そりゃ〜凄い荷物になるわ。

敬老の日を前に、ハハがお祝いを送ると私たちが来るタイミングに併せて母の元には宅急便が届く。
さすがに今回の栗は自作ではなく、買ったもののようだったらしいが、畑で採った季節の野菜、自家製のお餅や漬物・・・実は子供の頃はそんなには有り難いとも思えなかったが、大人になってからは楽しみになっている。
宅急便の伝票の字が叔母のものに変らない限り、まだまだ健在なんだなぁと。

子供の頃の夏休み、隔年か3年ごとくらいにばーちゃんの家に行くのは楽しみだったけど、大きな蜘蛛に遭うこと、田舎料理のオンパレードは苦痛だった。今思うと、何と勿体無い事よ!

小学生くらいの時は、毎年のようにばーちゃんは名古屋にやってきた。
農閑期のサイドビジネス?として、地元の農家の奥さんたち向けの洋服販売をしていたらしい。←当時はよく判っていなかったが。
1週間ほど滞在し、主に岐阜に買い付けに通っていたようだ。
当時の岐阜の繊維街はきっと賑わっていて、宮崎の山の中では手に入らない(そもそも店が無いんだから)最新ファッションを買い付けるのだ。恐らく、コレはこの人に似合いそう、などど考えながら。店舗を持たないセレクトショップのようである。
ばーちゃん孫たちに叱ることは決してなかった。徹底的に褒めて褒めてホメまくるのだ。「これ、お母さんにはナイショだよ。」とお小遣いもお約束。その1週間は、甘え放題の楽しいひと時だった。

仕切り屋一族の長であるばーちゃん、いつまでも元気でいて欲しいと願うばかり。